序文
UPCが2023年6月1日に業務を開始して以降、特許業界は侵害および取消訴訟の実体的事項に関する当裁判所の初期の判決を心待ちにしていました。
最初の数件の判決は2024年7月に出されており、当裁判所が(少なくとも今のところ)迅速な意思決定という大きな目標を達成できることを証明しています。これらの判決は、クレーム解釈、新規事項の追加、新規性と進歩性といった欧州特許の有効性の原則にUPCがどのように対処するのかについて、早期の指標を提供してくれます。
この記事では、これらの判決を精査し、UPCと欧州特許庁のアプローチを比較していきます。
クレーム解釈
UPCのクレーム解釈へのアプローチは、 NanoString vs 10X Genomics事件の控訴審判決 [1]において次のように概説されていました。
「特許クレームは、欧州特許の保護範囲を決定するための出発点であると同時に、決定的根拠でもある」。
「特許クレームの解釈は、使用されている文言の厳密かつ文字通りの意味だけに依拠するのではない。むしろ特許クレームにおけるあらゆる不明瞭な点を解消するためだけでなく、特許クレームの解釈の説明的な補助としても、常に明細書と図面を用いなければならない」。
さらに
「特許クレームの解釈に関するこれらの原則は、欧州特許の侵害と有効性の評価に平等に適用される」。
このアプローチは、これまでにUPCで出された実体的事項に関する全ての判決において遵守されており、その全ての判決がNanoString vs 10X Genomics事件の控訴審判決を引用しています。
Sanofi vs Amgen事件[2]において、ミュンヘン中央部は、特許クレームの解釈上、特許明細書が特許自体の辞書となり得るという周知の原則についても確認しました。
新規事項の追加
新規事項の追加は、欧州特許庁(EPO)の異議申立手続において欧州特許の取消理由になることがよくあります。EPOは新規事項の追加について、極めて厳格な基準(「ゴールドスタンダード」として知られる)を適用しており、これに従い特許出願のあらゆる補正は、出願時の特許明細書の内容から直接的かつ一義的に導き出せるものでなければなりません。
特許権者たちは新規事項の追加に対して、UPCがこの基準を採用するのか、あるいは願わくば制限の緩い独自のアプローチを生み出すのか、固唾を飲んで見守ってきました。
Dexcom vs Abbott事件
Dexcom vs Abbott事件[3]において、新規事項の追加が無効理由として提起されました。この侵害訴訟は、Dexcomが様々なAbbot企業を相手取り提起したもので、付与された特許に関して、さらに第1および第2予備的請求でDexcomにより提出された補正クレームに関して、検体モニタリングシステムに係る特許の侵害を主張していました。
パリ地方部は新規事項の追加の評価において、EPOのゴールドスタンダードには言及せず、付与された特許のクレーム1と第1予備的請求のクレーム1の特徴を裏づける十分な開示が出願時の明細書にあると認定しています。
しかし、第2予備的請求は新規事項の追加と判断されており、出願明細書に開示された特定の構成の拡大または上位概念化につながるクレーム補正については、いかなる根拠も出願時の明細書には存在しないと認定されました。
この評価においてパリ地方部は、欧州特許出願における特定の開示のいわゆる「中間上位概念化」に結びつく補正を定石通りに拒絶しており、EPOと類似のアプローチを採用しているように思われます。
Meril vs Edwards事件
Meril vs Edwards[4]取消請求でも、無効理由として新規事項の追加が提起されました。パリ中央部はこの事件の判決において、特許がその出願の内容から逸脱する主題を含んでいるという原告の主張の一部を却下しましたが、それ以外の主張には同意しています。
原告は、付与された特許のクレーム1における特徴の特定の組合せが、出願時の明細書には存在しなかった主題を追加していると主張しました。この主張を却下する際にパリ中央部は、異議を唱えられた特徴の組合せが出願時の明細書に「明確かつ一義的に」開示されていたと述べ、EPOの「ゴールドスタンダード」の表現を引用しています。
原告はさらに、特許(先願の欧州特許出願の分割)のクレーム1の他の特徴が、親出願の出願時の明細書の開示の許容されない中間上位概念化に当たると主張しました。
これに対してパリ中央部は、先の親出願の主題の許容されない拡張が「生じるのは、当業者が先の出願からその主題を直接的かつ一義的に推論できない場合である」と説明し、再び新規事項の追加に関するEPOの基準の表現を引用しています。
最終的にパリ中央部は、付与された特許のクレーム1の1つの特徴が許容されない中間上位概念化に当たると結論づけており、関連特許に関するEPO異議部の決定により、この結論が支持されています。
Bitzer vs Carrier事件
パリ中央部に取消を請求したBitzer vs Carrier事件[5]において、原告は、付与された特許のクレーム1の特徴(手続中に補正された)が、出願時の明細書の内容を超えて特許の主題を拡大したと主張しており、その理由として、
特許クレームに使用された表現:
「前記装置は……に応じてサンプリングレートを調整するように適合される」
が、出願時の明細書のクレーム1における対応する特徴の表現:
「前記サンプリングレートは……に応じて調整される」
とは異なっていると述べました。
パリ中央部はこの主張を却下し、その理由として、当業者であれば出願時の明細書のクレーム1の表現「前記サンプリングレートは調整される」から、当該装置がサンプリングレートを調整するように暗黙的に適合されることを黙示的に理解するだろうと述べました。さらにパリ中央部は、出願時の明細書における補正の十分な根拠を認め、手続中に補正された特許クレーム1の新規事項の追加に関する他の主張も却下しています。
新規性
これまでのところUPCは、新規性の評価に対して馴染み深いアプローチを採用しており、クレームに新規性がないと認定するには、クレームの全ての特徴が先行技術文献に直接的かつ一義的に開示されていることを要求しています。
Franz Kaldewei vs Bette事件
Franz Kaldewei vs Bette事件[6]においてFranz Kaldeweiにより提起された侵害訴訟は、浴槽設備に関する特許の侵害の疑いに関するものでした。Betteは侵害を否定しない代わりに、取消を求める反訴において、当該特許は新規性の欠如と進歩性の欠如により無効であると主張しました。
デュッセルドルフ地方部は、新規性に関する背景説明において、(取消を求める反訴における)新規性の欠如または進歩性の欠如の立証責任は被告側にあると述べました。
また、新規性に対する同地方部のアプローチについても説明し、技術的教示が新規とみなされるのは、それが少なくとも1つの特徴に関して従来技術で利用可能なものとは異なっている場合であり、当該技術分野に精通した専門家にとって刊行物または先使用から直ちに明白なものだけが、従来技術により新規性を失うと述べています。
さらに同地方部は、専門家が更なる考察を通して、または他の文献や使用を考慮に入れて初めて得られる知識は、従来技術ではないと説明しました。
同地方部はこの事件において最終的に、付与された特許のクレーム1は新規性を有すると判断し、その理由として、クレームの特定の特徴に関してBetteが依拠した先行技術には、直接的かつ一義的な開示が存在しなかったと指摘しました。その一方で、このクレームは進歩性がないと認定されました。
原告により提出された予備的請求に示されたクレーム1の代替バージョンも、当該クレームの2つの特徴グループが先行技術に明確かつ直接的に開示されていないことを理由に、同地方部により新規性が認められました。
Dexcom vs Abbott事件
パリ地方部はDexcom vs Abbott事件の判決において、新規性に関する欧州特許条約の規定を引用し、次のように述べました。
「従来技術の一部とみなされるには、発明が単一の先行技術において完全に直接的かつ一義的に見出されなければならず、さらにその既存の形態において、その構成要素と同じ形式で同一であり、同じ構成と同じ特徴を有していなければならない」。
付与された特許のクレーム1には、(とりわけ)
「BluetoothまたはBluetooth Low Energyである第1通信プロトコルを用いて……検体測定データの第1部分を送信し;」
さらに
「近距離無線通信のNFCまたは無線周波数識別のRFIDである第2通信プロトコルを用いて、データ要求コマンドを受信する;」
ように構成されたセンサ電子装置、
および(とりわけ)
「第1通信プロトコルを用いて……検体測定データの第1部分を受信し;」、
さらに
「データ要求コマンドに応じて第2通信プロトコルを用いて……検体測定データの第2部分を受信する;」
ように構成された表示装置、の特徴が含まれている。
パリ地方部は、被告が依拠した第1先行技術文献に照らしてクレーム1を新規と認定し、その理由として、当該文献はデータ送信の2つのプロトコルの使用を開示していると考えられるが、当該文献は選択されたプロトコルとしてNFCを明示的に開示していないことを指摘しました。
さらにパリ地方部は、第2先行技術文献に照らしてもクレーム1を新規と認め、その理由として、第2先行技術文献が係争特許の意味における2つの異なるプロトコルに従う測定データの2つの部分の送信を開示していたことは、十分に証明されなかったと指摘しました。
第3先行技術文献に対する新規性も認められ、係争特許のクレーム1に示された2つのプロトコルを用いて測定データの2つの部分を送信するように設計されたシステムは、当該文献には開示されていないことが指摘されました。
Meril vs Edwards事件
Meril vs Edwards事件でパリ中央部は、特許のクレーム1(予備的請求により補正された)が4件の先行技術文献により新規性を欠いているという原告の主張を却下しました。
いずれの先行技術文献も、その明細書または図面において、係争対象の特徴を開示していないと、パリ中央部は判断しています。第4先行技術文献に関しては、当該先行技術文献からクレーム1の係争対象の特徴を「直接的かつ一義的に推論できない」ことは明白であると、パリ中央部は述べました。
Bitzer vs Carrier事件
Bitzer vs Carrier事件でパリ中央部は、手続中に補正された特許のクレーム1には新規性がないと判断しました。その一方で、予備的請求2で提出された補正クレームは、原告が依拠した全ての先行技術に照らして新規であると認定され、いずれの先行技術文献も予備的請求2で補正されたクレームの特徴を開示していないことが指摘されています。
進歩性
UPCがどのような方法で進歩性の評価に対処するかについては、多くの憶測が飛び交っていました。欧州特許弁理士は、EPOの「課題解決アプローチ」を用いることに慣れていますが、UPC参加国の国内特許庁は、進歩性に関して様々な異なる判断基準を持っています。
これまでのところ、UPCの一部の支部は、進歩性評価の異なる方法論を適用する際に、課題解決アプローチと似た要素を採用しているように見えます。その一方で、一部の判決は、課題解決アプローチから意図的に離れようとしているようにも見えます。そのような判決の1つは、明確に課題解決アプローチに言及しているものの、その適用は必須義務ではないと思われると主張するものであったため、UPCは進歩性に関して独自の基準の確立を目指しているのかもしれません。
Franz Kaldewei vs Bette事件
Franz Kaldewei vs Bette事件において、デュッセルドルフ地方部は、付与された特許のクレーム1が単一の先行技術文献に照らして進歩性がないと判断しました。その理由として、先行技術に存在しない単一の特徴を実現するために当業者が行う考察は、日常的な開発促進の範囲を超えるものではないことが指摘されました。
同地方部はこの結論の理由を説明する際に、特許とは独創的な専門家だけに与えられるものであり、独創的な解決策とは、平均的な知識とスキルと経験を有する訓練された専門家がその技術分野において日常的に開発および発見できるものとして定義される、従来技術を出発点とする領域を超えたところから始まると述べています。
同地方部はさらに、発明が存在するのは、専門家の専門分野における通常の取り組みの結果ではなく、専門家による追加の創造的努力を必要とする場合であると述べました。
先行技術に基づき、異なるサイズで容易に製造可能であって、付与された特許のクレーム1が要求するように、硬質プラスチックフォームから外形部分と浴槽土台を製造できる優れた機能特性を有する浴槽装置を特定することは、その任務を負う専門家にとって日常的な考察であるという点で、同地方部は納得しました。
このようにこの事件において、UPCはEPOの課題解決アプローチを適用しませんでしたが、UPCにより採用された方法論には、先行技術に基づく「任務」の特定に関して、EPOのアプローチと類似する部分がありました。
Dexcom vs Abbot事件
Dexcom vs Abbot事件において、付与された特許のクレーム1の進歩性を評価するパリ地方部のアプローチは、まずクレームに定義された発明と最も関連性の高い先行技術との相違点を特定することでした。その相違点とは、先行技術が検体測定データの第2部分の送信に用いるプロトコル(NFC)を明示的に開示していないことでした。
次にパリ地方部は、「検体測定データの第2部分を送信するプロトコルの選択」という技術的課題を定義しました。
最終的に、D1の明示的開示に照らして、データの送信にNFCプロトコルを使用し、このプロトコルに特有の効果を得ることは、当業者には自明のことであったと判断されました。
パリ地方部は、同じく進歩性がないと判断された第1予備的請求のクレーム1の進歩性を評価する際にも、同じアプローチを採用しています。
この事件では課題解決アプローチには言及されませんでしたが、パリ地方部がこの事件で採用したアプローチは、EPOの課題解決アプローチと非常に似ています。なぜならクレームされた発明と先行技術との相違点を特定し、その相違点に基づいて技術的課題を導き出しているためです。
Sanofi vs Amgen事件
Sanofi vs Amgen事件において、ミュンヘン中央部は、欧州特許条約の関連規定(第56条)に言及し、進歩性の評価において後知恵を回避する客観的アプローチの必要性を強調しました。
ミュンヘン中央部の説明によれば、クレームされた発明が当業者にとって自明かどうかを評価するには、まず従来技術における出発点を決定する必要があり、従来技術の特定の部分が当業者により現実的な出発点とみなされる理由が、正当化されなければなりません。この部分が、最も近い先行技術を特定しなければならないEPOのアプローチとは異なっています。
さらに同中央部の説明によれば、係争特許の優先日の時点で、先行技術に開示されたものと類似の製品/方法であるがゆえに、類似の根本的問題を抱える製品/方法を開発しようとしている当業者にとって、出発点の教示が興味深いものであれば、その出発点は現実的であると言えます。
EPOの課題解決アプローチも、最も近い先行技術を選択する際の最初の考察は、発明と類似の目的または効果に関するものでなければならないという点で似ています。
ただし、EPOのアプローチ(発明に結びつく開発にとって最も有望な出発点である先行技術を特定しなければならない)とは対照的に、同中央部はこの事件において、複数の有望な出発点があってもよく、最も有望な出発点を特定する必要はないと明確に述べました。
クレームされた主題と先行技術とを比較した後、次の疑問は、根本的問題に照らし、現実的な先行技術の開示から出発して、クレームされた解決策に到達することが、当業者にとって自明であったかどうかです。
一般的に、当業者が先行技術から出発して、クレームされた解決策を検討し、先行技術を発展させた次のステップとしてその解決策を実施する動機を持つ場合、そのクレームされた解決策は自明です。
その一方で、クレームされた主題が先行技術と比べて技術的効果または利点を実現する場合は、進歩性の存在を示している可能性があります。
ミュンヘン中央部はこれらの考察を適用した上で、原告により提示された1つの先行技術から出発すると、先行技術における明示的示唆を実行に移す当業者にとって、次の自明なステップは、当該特許のクレームに該当する抗体の開発であり、それゆえ当該特許には進歩性がないと判断しました。
Meril vs Edwards事件
Meril vs Edwards事件においてパリ中央部は、進歩性を評価する際は、従来技術に照らし、当業者が自己の技術的知識を用い、簡単な工程を遂行して、当該特許にクレームされた技術的解決策に到達できたかどうかを判断する必要があると述べました。
さらにDexcom vs Abbott事件におけるパリ地方部の判決を引用し、進歩性は当業者が遭遇した具体的な問題の観点から評価されると指摘しました。
パリ中央部はこれらの原則を適用して、進歩性の欠如の主張を却下し、予備的請求2により補正された特許は実際に進歩性があると判断しています。
重要な点として、この事件でパリ中央部は、課題解決アプローチの使用に明示的に言及しており、「この基準はEPOにおいて明確に規定されておらず、ゆえに必須義務ではないと思われる」と述べています。その一方で、これらの手続に課題解決アプローチを適用しても、進歩性に関して異なる結論には至らなかっただろうと説明しました。
課題解決アプローチの明白な否定ではないにしろ、これは進歩性の評価に対して独自のアプローチを確立しようとするUPCの最も明確な意志表示かもしれません。
Bitzer vs Carrier事件
Bitzer vs Carrier事件においてパリ中央部は、予備的請求2により補正された特許のクレーム1の進歩性を評価する際に、再びDexcom vs Abbott事件におけるパリ地方部の判決に言及しました。
原告が依拠したいずれの先行技術文献も、技術的課題を解決する動機を与えるものではなく、クレームされた解決策(環境を変える出来事またはユーザーが誘発した出来事に基づいてサンプリングレートを調整する)は、明白な解決策ではなかったというのが、パリ中央部の判断でした。したがって、予備的請求2により補正された当該特許は進歩性があると判断されました。
備考
[1] 10X Genomics, Inc and President and Fellows of Harvard College vs NanoString Technologies Inc, NanoString Technologies Germany GmbH and Nanostring Technologies Netherlands B.V., UPC_CoA_335/2023
[2] Sanofi-Aventis Deutschland GmbH et al vs Amgen, Inc., UPC_1/2023
[3] Dexcom, Inc. vs Abbott Laboratories et al, UPC_CFI_230/2023
[4] Meril GmbH and Meril Life Sciences Pvt Ltd vs Edwards Lifesciences Corporation, UPC_CFI_255/2023/UPC_CFI_15/2023
[5] Bitzer Electronics A/S vs Carrier Corporation, UPC_CFI_263/2023
[6] Franz Kaldewei GmbH & Co. KG vs Bette GmbH & Co. KG, UPC_CFI_7/2023
助言が必要な場合は
この記事は一般的な情報提供のみを目的としており、法的助言を構成するものではありません。この記事または統一特許裁判所に関連する他の主題に関して助言が必要な場合は、hlk@hlk-ip.comまたは担当のHLKアドバイザーまでご連絡ください。